東京地方裁判所 平成9年(特わ)4489号 判決 1998年11月20日
一
被告人
本籍
東京都大田区石川町二丁目一九〇番地
住居
東京都大田区石川町二丁目二四番一号
不動産賃貸業
早川久米子
昭和九年一一月二日生
二
出席検察官 髙畠久尚
永村俊朗
三
弁護人(私選) 権藤世寧
佐藤和利
森川文人
主文
1 被告人を懲役六か月及び罰金三〇〇万円に処する。
2 右罰金を完納することができないときは、五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
3 この裁判確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予する。
理由
【犯罪事実】
被告人は、東京都大田区石川町二丁目二四番一号に居住しているものであるが、平成七年四月五日所有していた同区石川町二丁目一九〇番地四の土地(以下本件土地という)を売却譲渡したことから、分離前相被告人松尾玉廣と共謀の上、平成七年分の所得税を免れようと考え、松尾が、前記土地譲渡に関して架空の必要経費を計上する方法により所得を秘匿した上、実際は、平成七年分の分離課税による長期譲渡所得金額が九八四五万三〇七二円(別紙1の修正損益計算書参照)であったにもかかわらず、平成八年三月四日、東京都世田谷区玉川二丁目一番七号玉川税務署において、玉川税務署長に対して、平成七年分の分離課税による課税短期譲渡所得金額が零であり、これに対する所得税額はない旨の虚偽の所得税確定申告書(平成一〇年押第五七五号の1)を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、不正の行為により、平成七年分の正規の所得税額一四三九万六三〇〇円(別紙2のほ脱税額計算書参照)を免れた。
【証拠】
一 被告人の検察官調書(二通)
一 分離前相被告人松尾玉廣の公判供述(第一回公判期日)
一 証人松尾玉廣(第三回及び第四回公判期日)及び証人中尾道子の各公判供述
一 譲渡収入・必要経費・所得金額調整額(分離短期譲渡所得)調査書謄本、譲渡収入(分離長期譲渡所得)調査書謄本、取得費(分離長期譲渡所得)調査書謄本、譲渡費用(分離長期譲渡所得)調査書謄本、特別控除額(分離長期譲渡所得)調査書謄本、医療費控除調査書謄本、社会保険料控除調査書謄本、生命保険料控除調査書謄本、損害保険料控除調査書謄本、寡婦控除調査書謄本、扶養控除調査書謄本
一 捜査報告書謄本(甲一)
一 平成七年分の所得税の確定申告書一袋(平成押第五七五号の1)
一 名刺一枚(同押号の3)、預り證一通(同押号の4)、「譲渡所得計算」と題する書面(同押号の6)、領収書(同押号の7)
一 被告人の公判供述、陳述書
【争点に対する判断】
一 被告人、弁護人の主張
被告人は、平成七年分の所得税を免れようと考えたことはなく、分離前相被告人松尾玉廣とその旨を共謀したこともない。
二 関係各証拠から明らかに認定できる事実
1 被告人の公判供述及び検察官調書(二通)、証人松尾の公判供述、譲渡収入(分離長期譲渡所得)調査書謄本及び平成七年分の所得税の確定申告書(平成一〇年押第五七五号の1)等によると、被告人は、平成七年四月五日、父親から相続して所有していた本件土地を公園用地として、大田区土地開発公社に売却譲渡し、その後、当時税理士をしていた松尾に対して、平成七年分の所得税の申告等を依頼したところ、松尾が、平成八年三月四日、玉川税務署長に対して、本件土地の譲渡所得について架空の必要経費を計上して、納付すべき所得税がない旨の確定申告書を提出したことから、平成七年分の正規の所得税額を免れたことが認められる。
2 被告人及び証人松尾の各公判供述、名刺一枚(平成一〇年押第五七五号の3)、預り證一通(同押号の4)、委任状一通(同押号の5)、「譲渡所得計算」と題する書面(同押号の6)、領収書(同押号の7)及び土地売買契約書の写し(同押号の8)等によると、被告人は、平成元年三月一三日所有する土地を売却譲渡し、松尾に対して、平成元年分の所得税の申告等を依頼したところ、平成元年八月二四日松尾から国税が概算一五五五万円、地方税が概算四八一万六〇〇〇円になる旨の計算経過を記載した書面をファックスで送信され、平成二年一月三〇日松尾に対して二六〇万円を支払い、同年二月二八日、松尾に対して九〇〇万円を支払うとともに、松尾から「損害を及ぼすことがあれば当方にて全額負担致します」と記載された書面の交付を受け、その後、松尾が被告人の納付すべき所得税がない旨の確定申告書を提出し、平成元年分の正規の所得税を免れ、さらに平成二年七月九日松尾に対して五〇万円を支払ったことが認められる。
三 関係者の供述
1 松尾の公判供述
証人松尾は、公判において、次のとおり供述している。
(一) 被告人から本件土地を売却譲渡したことにともなう所得税の申告等の依頼を受けていたところ、平成八年三月三日、被告人が入院していた昭和大学病院に被告人を訪ねて、正規の税額が二千数百万円になるが、「一六〇〇万くらいか、一七〇〇万くらいでいかがでしょうか」と述べると、被告人が「もう少し何とか安くしてくれませんか」「一四〇〇万円くらいでどうですか」と言うので、国税、地方税及び報酬等を含めて一四〇〇万円で申告事務等を行うことになり、同月四日、平成七年分の被告人の所得税について前記のような確定申告を行った上、同月五日、被告人の子供を介して一四〇〇万円を受け取った。
(二) 被告人が平成元年所有する土地を売却譲渡したことから、被告人に対して、その土地の売却譲渡にともなう国税及び地方税が二〇三六万六〇〇〇円程度になる旨の書面をファックスで送信するなどして、被告人から二六〇万円及び九〇〇万円を受け取り、報酬も含めてその金額で土地の売却譲渡にともなう所得税の申告事務等を行うことになったが、被告人から一一六〇万円で足りる理由を訪ねられたことはなく、その後、被告人が後に税金を取られることを心配するので、被告人に対して、損害を受けることがあれば自分が負担する旨の書面を差し入れ、被告人の平成元年分の納付すべき所得税がない旨の確定申告を行い、さらに、税務署から被告人の譲渡所得に関する申告処理が済んだ旨の連絡を受けたため、被告人に対して追加の報酬を求め、被告人から五〇万円を受け取った。
このような事情からすると、被告人は、平成七年分の所得税についても、当初から、平成元年分と同様の不正の行為により税を免れることはわかっていたはずである。
2 被告人の公判及び陳述書における供述
被告人は、公判及び自ら作成した陳述書において、次のとおり供述している。
(一) 松尾から本件土地の売却譲渡にともなう所得税の申告事務等を依頼してもらいたいと言われており、体調が悪くなってきたこともあって、年間の収支をまとめた書面と必要な資料を松尾のもとで税理士業務を補助していた中尾道子に渡したところ、中尾が、それらの書類を見て、税額が一八〇〇万円から二〇〇〇万円くらいになるであろうと言っていた。
その後、昭和大学病院に入院していたところ、平成八年三月三日、松尾が、病院に訪ねてきて、「金額が決まった」と言って、持っていた茶封筒に一四〇〇万円と書き、「いつできるか」と言うので、用意するから一日待って欲しいと言って、同月五日子供を介して松尾に一四〇〇万円を渡した。同室者がいたので、松尾が公判において供述するようなやりとりはできなかったし、一四〇〇万円は納税額であって、松尾に対する報酬は別に請求されると思っていた。
(二) 平成元年二月二日、夫が死亡し、生前夫が進めていた売買を追認して土地を売却譲渡したが、税務申告を行うのは初めてであり、夫が行っていた会社事務の整理もあって、松尾からファックスで送信されてきた土地の売却譲渡にともなう税額を計算した書面を見たかもしれないが、それを金庫に入れてしまってからは記憶から欠落しており、申告期限まで、松尾に対して二六〇万円及び九〇〇万円しか支払わなかったことを不可解に思うこともなく、松尾から損害を及ぼすことがあれば全額負担する旨の書面が差し入れられたのも、税理士として丁寧であると思ったくらいであり、その後、松尾から求められて五〇万円を支払ったのも、申告が無事に済んだと言われて、そういうものかと思って支払ったにすぎない。
四 当裁判所の判断
1 松尾の公判供述の信用性
松尾の公判供述は、それなりに具体性がある上、被告人の父親及び被告人の夫の父親からも世話になっており、被告人に迷惑をかけたので弁償したい旨述べるなど、終始被告人に対する責任を感じながら供述されたものであり、あえて被告人に不利な虚偽の事実が供述されているものとは考えられない。
確かに、松尾の検察官調書(二通、平成九年一一月一八日付け、同年一二月八日付け)には、昭和大学病院において被告人とやりとりした際、松尾が被告人に対して、正規の税額が二千数百万円になるが、税金及び手数料などを含めて一四〇〇万円で手続きをすると申し出た旨の公判供述と異なる供述がされているが、このような松尾の検察官調書における供述は、実質的には公判供述と矛盾するものではなく、松尾は、公判において、検察官から本件について取調べを受けたのは、わずか一、二時間程度であり、必ずしも検察官調書の内容が正確でない旨述べていることからすると、松尾の前記各検察官調書における供述によって、松尾の公判供述の信用性が左右されるものではない。
むしろ、松尾の公判供述は、短時間で録取された前記各検察官調書より具体性があり、詳細なものであり、しかも、前記各検察官調書では述べられていない事実が供述されているのであるから、その意味からも信用性が高いというべきである。
2 被告人の公判供述の信用性
(一) 被告人は、平成九年一一月四日付け検察官調書において、自分のノートの記載に基づいて、本件土地売却先である大田区土地開発公社の担当者から、譲渡所得から五〇〇〇万円が特別控除され、所得税率が二〇パーセントになることを聞いて、試算してみたところ、譲渡所得の税額が二二〇〇万円を超えることがわかっていたので、松尾が言う一四〇〇万円が本来納めるべき税額に比べてずいぶん安いと思った旨供述している。
この点について、被告人は、公判において、それは自分でアバウトな税額の試算をしたものであり、それよりは税額が安くなると思っており、松尾が言う一四〇〇万円で国税が済むと思っていた旨供述している。しかしながら、証人中尾道子は、公判において、松尾が、依頼者から納税のための現金を受け取って、納税を代行することはほとんどなく、被告人のため納税を代行したことはなかった旨供述しており、被告人自身も公判において松尾に納税を代行してもらったことはほとんどなかった旨供述している上、松尾から言われた一四〇〇万円という金額が税額にふさわしくない割り切れた金額であったことからすると、被告人は、松尾に依頼した平成七年分の所得税の申告等が通常とは異なった方法で処理されることを認識していたというべきであり、そうであるにもかかわらず、格別の根拠もなく松尾が言う一四〇〇万円が納付する正規の税額であると考えたという被告人の公判供述は、それ自体不自然であり、信用できない。
確かに、被告人の前記検察官調書における供述は、本件における所得税の税率が一五パーセントであるにもかかわらず、その税率が二〇パーセントになる旨の客観的な事実に反する供述がされているが、そのことによって、松尾が言う一四〇〇万円が納付する正規の税額であると考えたという被告人の公判供述の信用性が高められるものではない。
(二) 被告人は、平成九年一一月四日付け検察官調書において、平成元年土地を売却譲渡し、松尾にその譲渡所得の申告を依頼して納付する税額を安くしてもらったので、平成七年分の所得税の申告等についても松尾に依頼したが、松尾に頼んで税額が安くなるのは何らかの手段で不正な申告をするからであることはわかっていた旨供述している。
ところで、平成元年の所得税の申告の経過に照らすと、被告人が、公判において、松尾から税額を計算した書面の送信を受けたこと自体を忘れており、夫が死亡した後、初めて税務申告を行うことになったこともあって、松尾の対応を不可解と思わなかった旨供述しているのは、それ自体不自然であり、信用できるものではない。
むしろ、被告人が松尾から送信を受け、保管していた書面の内容、被告人が松尾に支払った金額等に照らすと、被告人は、松尾に依頼した平成元年分の所得税の申告等が通常とは異なった方法で処理されることを認識していた上、松尾から知らされていた所得税の税額より少ない金額しか松尾に支払っていないにもかかわらず、法定納期限が経過したことを認識していたというべきであるから、被告人が前記検察官調書において供述するように、松尾が、平成元年分の所得税について、ことさら税額が低くなるような申告をしていたことを知っていたものと認められる。
3 結論
以上を総合すると、被告人は、松尾が、被告人の平成元年分の所得税の申告において、ことさら税額を過少に申告していたことを知っていたと認められる上、松尾の公判供述等から、被告人は、松尾に本件土地の売却譲渡にともなう所得税の申告等を依頼するに当たって、松尾が支払いを求めた一四〇〇万円が正規の税額より少ないという認識のもとに、松尾にその依頼をしたと認められる。
そうすると、被告人が、前記検察官調書において、松尾が本件土地の売却譲渡にともなう税額を安くすませることがわかり、そのためには、松尾が申告の際不正な方法を使うだろうこともわかっていた旨供述しているのは信用でき、被告人は、平成七年分の所得税を免れようと考え、松尾とその旨を共謀したものと認めることができる。
【法令の適用】
一 罰条 刑法六〇条、平成一〇年法律第二四号による改正前の所得税法二三八条一項
二 刑種の選択 懲役刑及び罰金刑選択
三 労役場留置 刑法一八条
四 刑の執行猶予 刑法二五条一項
【量刑の事情】
本件は、被告人が、共犯者と共謀の上、自ら行った譲渡にともなう分離課税の譲渡所得を秘匿して、所得税一四三九万六三〇〇円を免れたという事案であり、ほ脱税額は低額であるということはできない上、ほ脱税額は正規の税額の全額に及んでいるのであって、到底見過ごすことができるものではない。
本件は、共犯者が、脱税が発覚しないように、知り合いの税務署職員が勤務している税務署が所轄税務署になるように被告人の居住地を偽り、その税務署職員に賄賂を贈り、被告人の本件土地の譲渡にともなう分離課税の譲渡所得について、架空の必要経費を計上して、その税務署に納付すべき所得税がない旨の確定申告書を提出することによって行われたものであり、犯行の態様は芳しいものではない。被告人の刑事責任は決して軽視できるものではない。
他方において、本件の脱税の方法は、共犯者の発案のもとに行われたものであり、被告人は、その詳細は承知しておらず、ともかくも共犯者に支払った一四〇〇万円が納税資金と脱税報酬の双方に使われると考えていたにすぎないと認められるところ、本件の正規の税額は被告人が共犯者に支払った金額にほぼ近いものであり、被告人が、税理士であった共犯者から適切な助言を受けていれば、本件に及ぶことはなかったと考えられる余地がある上、被告人は、修正申告を行い、本件により免れていた本税及びその附帯税の全額を納税しているなど、被告人にとって有利な事情もある。
そこで、これらの事情を総合して考慮し、被告人を主文の懲役刑及び罰金刑に処した上、その懲役刑の執行を猶予することとした。
(裁判官 山口雅髙)
別紙1
修正損益計算書
自 平成7年1月1日
至 平成7年12月31日
早川久米子
<省略>
別紙2
ほ脱税額計算書
早川久米子
平成7年分
<省略>